2016年05月

男のロ・マン

色々あって…結局元の鞘に戻って思う事がある。

楽しいな~。

男のロマンで飯は食えない。

それが、本当にもう少し若い頃にわかっていたら良かったんだろうな。

どうでも良いが、最近ポップンミュージックを始めました。

好きな事ってさ…多分やらない事なんだよ。

全く興味がなくなり、手を出さなくなり、アンテナが情報を拾う事すら止めていたはずなのにやっているのよ。

感じとしては呼吸をしているのと同じ考え。

「やろう」と思う事はたくさんある。でも、多分それは「やらない」んだろうな~と考えるよふけ。

はてさて

昨日の件じゃないけど、最近面白いニュースが沢山ある。

その中でも楽しいのが「子供を千尋の滝から突き落したニュース」である。

思うんだけださ…これってニュースにするような事柄なんだろうか?

前にどこかで書いた気がするが、この世界で唯一許される殺人があるとするなら、それは親が子供を、子供が親を殺す行為だと思う。

親がいて子がある。子は親だけは選べない。

互いが互いに同等の業を背負い生きている。だから、構わないのだ。

話を変えよう。

僕は人の車を運転する事が何よりも嫌いだ。なぜなら、絶望的な運転技術で人の車に傷を負わせる可能性が億兆万あるからだ。

同様に僕は放射能汚染物だから、人の家に遊びに行く事が何よりも苦痛で仕方がない。

故にその逆は平気だったりする。

車の運転を全くした事がない初心者に二つ返事で車を貸し出せるし、オレの家に遊びに来る覚悟がある人間は誰であろうと受け入れれる。

何でもそうだと思うんだけどさ、取りあえず実験は自分や自分の所有物でやってみる。

んで、自分が痛い目を受けた事や、失敗した事は黙っていて、成功した事だけ人に伝えている。コレは万国共通の当たり前の価値観だと思うが、親子も関係もこの同一線上にあると思う。

子は親の所有物であり、親は子の所有物なのだ。

子育てや教育、介護に正解なんてない。あるのは結果だけ。それでもだ…もしその実験を行うのだとしたら、それは自分の子供(自分の親)を使って試してみるしかないんだよ。

その結果が残念な事になったとしても…。

星一徹と言う男がいる。

昔…彼の事が怖くて、気違いのバカだと思っていた。

しかし、今となっては男のロマンを語る上で星一徹ほど理想的な人物はいないだろう。飛雄馬なんてチンカスみたいなもんだよ。

星一徹を理想の父像とは思わない。だけど、星一徹を許容できる世界だったからこそこの国は生きてこれたのではないだろうか?

野比家だってそうだよ。戦時中だってきっとそうだよ。

そこに愛はあったのよ。

そこに愛はあったはずなのよ。

まぁ…星一徹は息子一人を山に置き去りにして酒を煽ったとしても、自分の命を犠牲にして1人で山を探しまわり息子を見つけ出すだろうけどね。

「愛」覚えていますか?
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