2015年05月

ましゃちゅぅうしぇっちゅきょうかじゃいぎゃぎゅ

わけあって高校生の作品(正確にはおっさんが高校時代に作った作品)に触れる機会があった。

なんかさ…めちゃくちゃ面白い。

それはその人が大天才で面白い…と言うのではなく、発想や演出の仕方がオレが高校時代に使っていた物と丸被りだからだ。

なんと言うかね…当時「オレって天才じゃね?」と思いながら盛り込み、盛大に失敗をやらかしているアレやコレやソレを誰に習ったわけでもないはずなのに同じように同じ年齢の時分にやらかし、同じように失敗に気づき、今はやらなくなってしまっている。

これは先日知人としていた「無職に発言権はあるのか?」談義のオレが提示した答えの一つのわかりやすい例だと思う。

無職に発言権はあるのよ。好きに何でも言ったらいい。偉そうに社会人様に真っ向から立ち向かったらいい。オレは生きている人間は皆平等だと思っている。仕事していようが、していなかろうが、そこに差はないと思っている。

早い話が、社会人様の意見全てが間違っているわけではないし、無職の意見の全てが正しいわけでもないんだ。

それらを踏まえた上で…人間には今回の"高校生時代"のような恥ずかしい時期があるのも事実なんだよ。

本来、知識と経験と結果と年齢はともに育っていかなければいけない。ところが人生そうそう上手くはいかないもの。誰だって、いつだってそんなに杓子定規に行くわけなくて、凹凸だらけになるのが当然。そしてそうなった時に人間が辿る思考ってのがまぁ…笑えるぐらいテンプレートなんだよな。

今のオレ自身がそう。そしてそれらを達観したように意見しながら、その実何にもわかっていないのが、まさにそう。これもありふれたテンプレートの一形態。

んで、そのテンプレートから次のテンプレートに移った人間が、そのテンプレートに嵌っている人間を見た時、思わず過去の自分を振り返り見て思わず笑ってしまう。これが、今日のオレであり、そして多くの無職の発言が笑われる理由なんだ。

無職の発言が悪いんではない、無職の発言ってものの大部分はテンプレートで価値がないから笑われる。それだけの話なんよ。

なんと言うかね…年寄りが偉いとは思わない。だけど年寄りってのは強いんだよ。だって自分よりも長い時間遊んで来たんだから、強くて当然なんだ。子供時代の自分と親との距離感は本当は生涯変わる事はない。それが変わってしまったのは年寄りの怠慢でしかないのだから。

怠慢した年寄り…いわゆる老害は、ゴミだけど、まともに生きてきた老人はやっぱり自分より強いのよ。そして多くの人間は口でなんと言おうが自分が大好き。そして未来は変わっても過去は絶対変わらない。

オレは恥ずかしくて汗が噴き出る、"ありふれた高校時代のセンスのかけらもないのにセンスの塊だと思って作られた"作品が大好きでたまらない。

こんな物を生産する意味なんてない。せいぜい歳取った後の感性の1ページが増えるだけ。だけど、オレはこんな作品がたくさん産まれる社会がいいな。

凡人には凡人として天才な生き方があるんだよ。
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