2013年12月

『おもてなし』をぶっ潰せ

最近仲良くなった人は自分のことを「おれっち」と呼ぶ。

そんな人間今まで藤崎『封神演技』の『黄天化』以外ではじめて出会った。還暦をはるかに超したおっさんだ。

想像するだけで自分の事を「おれっち」と呼ぶ人間なんて殺したいほど腹が立つと思うんだけど、このおっさんは全く腹が立たない。それどころかこの人には「おれっち」以外の自称は似合わないというほどぴったり当てはまる。

深く追求していないけど、この人は生涯「おれっち」で生きてきたんだ。「おれっち」が先か後かはわからないけど、「おれっち」なんだ。

メンヘル女が自称に名前を使うのは親に名前で呼んでもらえなかったから『自己の確認』のために自称に名前を使うらしい。自称とはその人となりを表すのだ。

そして、オレは自称を定めずいつもいろいろと使い分けている。

早くオレも一本に絞った生き方を見定めたいものだ。

はてさて

ボーナスが入ったぜ今畜生。今なら焼肉だって寿司だって食べれるし、ガソリンを給油する事だって出来るんだぜ。

まさに有頂天な心境!!!なんだけど、残念ながらこのお金の使い道は既に決まっている。

お年玉なのだ。

オレは親戚内で一番生まれが遅かったためにいろんな人から山のようにお年玉を貰っていた。多分、同年代の子供の倍以上貰っていただろう。その変わりに、逆にたくさんの人にお年玉返しを決めなければいけない。

こう書くと、習慣とか風習で嫌々あげたくもない親戚にお年玉を上げているように思うかもしれないけど、実際はニヤニヤしながらお年玉を渡している。

ニート故にお金には絶えず困っている。お年玉代だってバカにできない。だけど、オレはお年玉を心待ちにしている子供心を知っている。この時期のウキウキを知っているんだ。年に数度のTVゲームを買える日なんだ。

そして・・・何より今のオレはお金の重みを知ってしまったから、お年玉の重さを知ってしまったから、あげないわけには行かない。

頑張って、頑張って、汗と涙で働いて手に入れた価値のある者を毎日楽しく遊んでいるガキンチョにくれてやるなんて正気の沙汰ではない。でも、そんな正気の沙汰でない事をオレは当たり前のように受けていたんだ。オレはそんなにも回りの人々に愛されて生きていたんだ。この恩を返さないわけにはオレは死にきれない。

別に誰かに言われたわけではない。『お年玉』と言う文化がオレに教えてくれた結果だ。

そして、オレがお年玉を上げた子供たちが成長し、同じように自分が愛されていた事とお金の価値を知ってくれたら、それで満足なんだ。

ご仏前の交換やお歳暮の交換するいわゆる社会的建前のお付き合いは嫌いなのでなくなってしまっていいと思う。

だけど、お年玉文化で学べる結果は人間の成長の1つだとオレは思う。
スポンサーサイト