2013年09月

愛される子供に産まれたかった

光陰矢の如し

なにも成さぬまま。なにも変わらないまま。

いや、変わらないのはマイナスか。

またひとつ死に近づいた。

変わる恐怖と変わらない恐怖。

何を望み、何を拒む?

もはや願い叶わぬのなら、せめて安らかな死を与えたもおて。

はてさて

そんなわけで、今年も終わった。

上ではああ書いたが、まぁ実際のとこ体が弱ったのと、心に傷と、可能性が潰れはしたものの、進歩が何もなかったわけではない。

問題は自分の進歩が時代の速度と同等であると言うこと。

つまりだ、劣等のオレが時代と同じ速度で進んだとしても、意味がないと言うこと。

そう…なんにも意味がないのです。

上達と言うモチベーションなんて上がるはずもなく、駄々下がり。

最近切に思うのは、モチベーションの維持。

またしても無い物ねだりで、アホらしい愚痴なのだが、「誉められる喜び」を知っている人間は強いと思う。

そっち関係の方々でも、多分あまりにも悪意に満ち溢れていない限り誉められると嬉しいと思う。だから、誉められることをすると思う。

例えば、少女がいたとしよう。

少女は絵を描いて、それを母親に見せた。母親は少女の絵を褒め称えた。実際は、何を描いたかもんからないようなものだったが。

以来、少女は「絵を描くと母親に誉めてもらえる」と思う。少女は次の日もまた次の日も絵を描いた。

絵を描くと母親に誉めてもらえる。母親に誉められることは、少女の中で自信に繋がる。

いつしか、少女は絵を描くことに自信を持つ。絵を描くことに楽しみを見いだす。実際問題の少女の絵はくそ下手くそなミジンコみたいなものでもだ。

誰も喜ばず、誰にも求められず、誰にも評価されず、ただ、ただ、自分のタメに生きる。

それが、私の選択した道です。

自由と言えば聞こえが良いが、恐ろしくむなしく、恐ろしく過酷です。泣きたくなるどころでは、ありません。

なぜ、こんな生き方を選んでしまったのか…今となっては後悔しかありません。

迎合を否定するバカは、その辛さを味わえばよい。そして、迎合しかしない能無しはちっとは苦境に立ってみろ。

もはや人生の折り返し地点を遠に過ぎた身。凝り固まった思想は変えられません。

過酷な歳がまた始まるのです。
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