青春の残滓

ベントラー!! 10years after 7

ポケビの曲を聞いていた。

昔『ウリナリ』で聞いていた時は何にも思わなかったんだけど、改めて聞くと良くも悪くも実に凄い。完成度…と言うよりもその曲調と演奏が。

これ…パッパラ河合は本当に演奏してもらうつもりで作ったんだろうな、ギターとメロディーとキーボードは凄い簡単。

でもってその簡単さで、これだけ重い、聴かせる曲を構成しているのが実に凄い。多分打ち込み?のドラムに昭和かと思うぐらいリバーブかける事によって聞き心地の調整をしているんだろうけど、うまい塩梅だよ。

う~ん。色々と勉強になるな。

どうでもいいが、オレは100万人署名に貢献したからな。

はてさて

夜遅く知人が訪ねてきたのでこの寒空の下、小一時間意味もない話をグダグダしてしまった。

その光景は今日が初めてのはずだったのに、オレは物凄い既視感に襲われてしまった。不思議な事にそれはどうやら訪ねてきた知人も感じていたようであった。

それは約10年前の今頃の話。思春期真っただ中のおセンチな時代にあった本当に小さな一幕。まぁ…『STAND BY ME』だ。

始まりは1本のゲームソフトと流星群…だったと思う。

詳しい内容は、当時書いていたマンガの"あとがき"と『遺書』と名付けた"日記帳"を見れば鮮明にわかるんだけど、眠いし、めんどくさいし、恥ずかしいので止めておく。もし、そのメンバーの内の誰かが結婚でもしたらスピーチの際にそれを持ちだしてネタにでもしようかな。

アレからもう10年…。この10年…変わった事は"一人減った"以外は特に思いつかない。

もちろん10年間には色々あった。自傷好意に走ったり、ひとり暮らししたり、女に騙されたり、病気で寝たきりになったり、入院したり、憎悪の象徴がいなくなったり、1人旅に出たり、マンガ家諦めたり、仕事に就けなかったり、幼馴染に赤ちゃんできたり…細かい事挙げればきりがない。

おかげさまで、当時と比べて精神はさらに病んで、肉体的にも病んで、歳を食って、もう取り返しのつかない事になり、それに開き直ってしまっているありさまだ。

なのにオレを取り巻く環境も、そこで行われている行為も何にも変わらないんだよ。

これは絶対にオレだけではないはずなんだ。

誰もがみなそれぞれの人生を過ごし、疲弊し磨耗しながら10年を過ごして変わってきたんだ。それなのに、何にも変わってないんだよ。

良いか悪いかはこの際おいておくとしても凄い事だとは思う。

思春期真っただ中のおセンチな時代の恥ずかしい思い出がない人間はこの世界にいない。だけど、その時代に付き合いのあった連中と、その時代に行っていた事をアラサーになっても変わらずに、それでいて楽しくやれている人間が一体どれだけ存在する事だろうか…。

こんなのをマイルドヤンキーどもは『友・情・命』とか、言いそうだけど、オレは『気持ち悪い』と思う。

正直な話…10年前こうなる事を予想していなかった。オレは1人で東京に出てマンガのアシスタントをしているはずだった。付き合いのあった連中とはオサラバして"格の違い"を見せつけるつもりだった。人付き合いなんてそんなもんだと割り切っていたのにこの有様だ。

流石に"格の違い"を逆に見せつけられた今は、自分の無力さを自覚したが、人付き合いに対する考えは変わっていない。

だから、今から10年後…この気持ち悪い関係が続いているとは絶対に考えない。しかし、故に続いているんじゃないのかな~とも思う。生きてさえいれば。

そして思った。全く接点のない人間たちに関するたった一つのシンプルな答え。それこそが、この接点なき人間たちの接点ではないのかと。

まぁ~なんだ。これからも元気でやれよ。生きていれば何かいい事あるかも知れないからさ。
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猫の爪は細いけど鋭い

僥倖・・・この言葉を今使わずしていつ使う。

まさか・・・まさか・・・のボーナスが支給された。本来なかったものなんだけど、相手側の想像以上に業績が良かったらしい?(多分おべっか)ので特別と言う事でいただいてしまった。

これにて、目算であるがひさ~し振りに貯金が出来る。極貧生活からほんのわずか復帰である。天にも昇る気持ちで雨乞い踊りを踊っていたのだが、冷静によくよく考えてみる。

ガソリンを満タンにして、壊れたパソコンの欠損部品を買って、ゴニョゴニョして、結婚祝いを包んだら・・・はい。余裕のよっちゃんマイナス収支。ダイハード見ながらヤケ酒してたらこんな時間にもなるさ。

とにかくだな・・・結婚祝いがでかすぎるのよ。ニートにとっちゃご祝儀袋だけで精一杯なんだよ。

いいかお前らいいかお前らいいかお前ら。結婚するなら5・・・いや・・・3年待ってくれ。そしたら1.5倍増しで包むと酔った勢いで宣言してみるので。

とにかく結婚するな。あと死ぬな。どっち払う金もないからな。出来ちゃった結婚なんかになったらどっちかしか払わんからな。

はてさて

好みは年々変化(許容)しているものの、愛する人は変わらない私ですが、別に変わる事が悪いとは思っていない。

毎クール嫁が変わるNIWAKA連中は論題だが、別に懐古主義に囚われた人間が美しいとも思わない。

人が変わっていくように、人の好みも変わっていかなければおかしいんだ。まして、それが変わる事を許されない永遠の時に閉じ込められた少女達ならなおさらの事である。その好みの変遷で自分の変化を楽しむのもまた一興かと考える。

それでも、オレの愛する人間はもう10年近く変わらない。心のどこかで変わる、変えてくれる存在が現れる事を願っていたりもする。圧倒的衝撃で価値観を打ち砕いてみて欲しい。

探求は、まだまだ続いていくのである。

そんな探求の旅のさなか1人の少女とであった。それはC79の時だから3年前になる。現時点における最後に閃光が走った時だ。

少女は多くの支持者に支えられている有名コスプレイヤーであるが、わけあって名前は伏せる。

出会いは、今は閉鎖した某有名まとめサイトであった。少女はその年代には珍しいオレの大好きなキャラのコスプレをしていたために目に付き『ズキューン』ときた。少女は当時いまほど有名ではなかったので、そのコスプレイヤーが誰であるのか調べるのにちょこっと手間取った事を覚えている。

ま、何はともあれ少女を特定、彼女の写真を集めていくうちにどんどん魅かれていったのをはっきり覚えている。同時にバカみたいにオナニーしていたのも覚えている。

それ以来コミケは少女の新作が見れる日となり、ワクワクするようになった。

しかし、そのワクワクは翌年には薄れ、さらに翌年には薄れ、そして、今年の夏コミではスルーしていた事を冬コミ終わって気づくという低体落をしてしまたった。

その原因は、彼女の魅力が失われたからではない。彼女のコスプレに限界を感じてしまったからである。コスプレの限界とは即ち若さである。

彼女の最も美しかったのはC79の時である。おそらく肉体の発達状況から見て20歳前後だと思う。コレより前は幼すぎ、コレより後は不自然な事に若返るマジックが起こる。

コスプレされるキャラは、見た目と設定はおいておいて、極度のロリ以外は大体18~20歳の精神と肉体で表現されている。中学生も人妻もだ。そのため、服装もその年齢を対象としてデザインされている場合が多い。

つまり、人間として二次元産業のコスプレが似合うの一般的に20歳が上限なのだ。それより上になると、マジックを使うか田村ゆかりみたいな波紋使いでないと不可能なのだ。

オレは性欲を満たす以外のコスプレに全く興味がない。だから、コスプレ画像を見るときはキャラクター云々より、その人物にその服装は似合っているのかどうかで判断している。彼女の場合はそれが奇跡的に一致したために琴線に触れた。コスプレしている彼女が可愛いのではなく、彼女が可愛かっただけの話なのだ。

コスプレには限界がある。25歳以上のアニメコスプレは基本的に不可能である。魅力を引き立てるどころかそぎ落としている。これはフォトショ使用や整形でもいえることだが、大きく損をしてしまっている気がしてならない。

AV女優がいつまでもAV女優でいられないように、コスプレイヤーはコスプレイヤーでいられないんだ。AVよりももっともっと旬が短いんだ。

線引きして普通のネットアイドルになるか、いっそ有名なうちにAV女優になってしまった方が懸命だと思う。どっちにしたって長くは続けられないんだから・・・。

オレは、AV女優を2009年に引退した星月まゆらをいまだに応援している。それはAV復帰をではなく彼女の幸せをだ。

イージーに見える彼女達の人生がこうなるのか凄く興味深い。